Nipper湘南SPレコード愛好会

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湘南SPレコード愛好会創立五周年記念講演会

 2/28 藤沢市フジサワ名店ビル6F イベントホール

蓄音機を哲学する

♪♪SPレコードを聴きながら♪♪

黒崎政男

 

崎政男(くろさき・まさお)氏

 哲学者。東京女子大教授。カント哲学研究のかたわら人工知能を論じて数多くのTV、ラジオに出演、さらにカメラ、陶磁器、真空管アンプ、オーディオ、仏像、ビオラ・ダ・ガンバ、その他もろもろの趣味でも知られる。最近ではNHKラジオ第一のトーク番組「午後のまりやーじゅ」の火曜パーソナリティをつとめ(2013.4~15.3)つつ、その番外編として生まれた番組「教授の休日?蓄音機&SPレコード特集」も昨年大晦日で7回を数えた。生放送で長時間にわたってSPレコードの魅力を発信、今年も着々と準備 を進めている。著書に『哲学者はアンドロイドの夢を見たか?人工知能の哲学』『カント「純粋理性批判」入門』,『哲学者クロサキの写真論』,『デジタルを哲学する』,『哲学する骨董』,『哲学ラジオ』(近刊)などがある。 

(1)蓄音機と音楽

   (資料:日経新聞2014/10 日曜文化欄)

(2)日本ではどんな音楽が聞かれてきたのか

   ギターの巨匠セゴビアの来日と「影を慕ひて」  

*******かける予定のレコード********
◎アンドレアス・セゴビア(ギター)
・トレモロ・スタディーズ(「アルハンブラの思い出」)タレガ1930年頃
・バッハ 「ガボット」1927年
◎古賀政男
・「影を慕ひて」 藤山一郎+古賀政男 (昭和7年1932年)
・「酒は涙か溜息か」 藤山一郎  (昭和6年1931年)
・「私此頃憂鬱よ」 淡谷のり子 (昭和6年1931年)
◎豊竹呂昇 義太夫「壺坂寺」(ビクター出張録音盤 明治40年1907年)
◎松井須磨子 「カチューシャの唄」(大正3年1914年)
◎「聞かせてよ、愛の言葉を」
リシュエンヌ・ボワイエ Parles-moi d’Amour (1930)
山田道夫「愛の言葉を」(1933)
R.Tauber Sprich zu mir vom Glueck (1932)
 

<資料> 

 

日本蓄音機商会のレコード宣伝ポスター 明治44年(1911)
●「私は小学校に入るまでレコードというものは浄瑠璃だけしかないものと思っていた。というのは明治四十年ごろはまだ蓄音機が珍しかったころで、
  私の家では祖父も叔母も両親も義太夫が好きだったので、勢いレコードも越路太夫や豊竹呂昇などの吹き込んだものしか私の耳に入らなかったからである。
  (宮澤清六『兄のトランク』1955=宮澤賢治)


●「蓄音器と云えば、浪花節のレコード時代は既に我国でも過去になろうとしている。趣味の向上は二、三年来、浪花節に代わるに西洋音楽のレコードとなった。
  従って洋楽のレコードが、広く一般の家庭に歓迎されるのも遠い時代ではなさそうだ
  (大正12年1月27日、大阪時事新報)1923年」(倉田喜弘『日本レコード文化史』228頁、東京書籍、昭和54年)


●「邦楽芸術家」と一括りされるようになる邦楽
  『日蓄(コロンビア)三十年史』(昭和15年発行))の後半
  「昭和三年以降活躍の主なる専属芸術家」(98頁)
   邦楽芸術家      豊竹呂昇 市川猿之助 広澤虎造 (他19名)
   作曲家、編曲家    山田耕筰 服部良一 古賀政男 (他13名)
   声楽家        三浦環 ベルトラメリ能子 藤原義江 (他2名)
   作詩家        西条八十 サトウ・ハチロウ 北原白秋 (他6名)
   歌手         淡谷のり子 高峰三枝子 音丸 藤山一郎 (他16名)
   右の外        新交響楽団 モギレフスキー(ヴァイオリン) 諏訪根自子
           クロイツアー(ピアノ) 柳家金語樓 (他4名)


●日本ビクター蓄音器株式会社の昭和三年(1928)第一回発売の主なもの
 ベートーベン クライスラー 協奏曲ニ長調  35円50銭 
 シューバート 未完成  費府(フィラデルフィア)交響楽団 16円
 ウエーバー 舞踏会への招待 コルトー 3円50銭
 独唱    出船の港、出船  藤原義江 2円50銭


●「私は一円出して帝劇の天井桟敷の客となった。舞台のセゴビアは、上から見降ろすとただじっと座っているだけという印象であったが、
  突然、場内いっぱいに 音が響きわたった。手はまるで動いていないのだ。私はがく然とした。
  ギターはセゴビアの手にとられただけで力いっぱい歌い出すのではないかとさえ思われた」(92頁)(古賀政男『自伝わが心の歌』展望社、2001年) 


 ●「この興奮のおさまらないうちに、私は一気に『影を慕いて』の詞と曲をつくりあげた−中略−秋の夕暮れのことであった。
  キセルなおしの『ラオ屋』が屋台を引き、物悲しい笛の音を流して通っていった。
  その音をそのままギターの音におきかえて、あのメロディーができあがった。
  こうしてセゴビアの放った〃矢〃は 閃光を放って私の体につきささって以来、私の心の奥底にとどまっているのである。
  恐らく永遠に抜き去ることはできないであろう」(同上・93頁) 

 
●「流行歌曲について」萩原朔太郎(1886-1942)
  例へば少し昔には、古賀政男の名曲「酒は涙か溜息か」や「幻の影をしたひて」等が流行した。
  これらの歌曲は、そのもつと前、欧洲大戦前後の好況時代に流行した、外国オペラの明朗な翻訳曲に比すれば、
  遥かに憂鬱で哀傷的のものであつたが、音楽として尚甚だ上品のものであり、その精神には健全で浪漫的な青春のリリシズムが情操して居た。
  {然るにその後、勝太郎の「ハア小唄」になつてくると、もはや「酒は涙か」のロマネスクや青年性は失はれて、
  年増女の淫猥な情痴感や感傷性やが、大衆の卑俗趣味に迎合するやうになつて来た。