第6回例会「黎明期のレコード“ベルリナー” 」

平成25年2月10日(日)午後4時
会場:カフェサンスーシ

第6回例会

創立1周年記念講演会
テーマ:黎明期のレコード“ベルリナー”
担当:Mac杉崎

創立1周年を迎えて 会長 村上信至

湘南SPレコード愛好会は、この2月9日に創立1周年を迎えました。
昨年は、全てが初めての事ばかりで、役員一同文字通り手探りの運営でしたが、 皆様のご協力を得て何とか予定の事業を行う事が出来ました。誠にありがとうございました。 今年は、この経験を生かし、更に内容の充実を計ってまいります。

本日は1周年を記念しての特別企画、当愛好会の顧問、マック杉崎氏による講演会を開催します。
テーマは「黎明期のレコード“ベルリナー”」です。本日は氏のご厚意により、貴重なコレクションの中から特別に公開をいただくものです。世界的にも貴重な最初の横振動の発明品、5インチディスクとその蓄音機、その後改良された7インチディスクとその蓄音機を聴き比べます。さらに20世紀初頭に横振動として製品化された他社の7インチ用蓄音機との比較などを行います。見て、聴いて、触って、ベルリナーの歴史とその進歩をご鑑賞ください。

湘南SPレコード愛好会顧問 Mac杉崎

私は先輩諸氏に恵まれ、蓄音機の世界に足を踏み入れました。若い頃に海外勤務も経験し、スペインやイギリスでの人脈を得て、現地の蓄音機やSP盤を買い求めることが出来ました。これが今日の原点です。
皆さんの中には良い音を追及されている方もおられると思いますが、今日は逆に時代を遡って黎明期ではどんな音で聴いていたのかをベルリナーの蓄音機とレコードを使って鑑賞いたします。

これが、本日使用する蓄音機(下の写真)です。

(左)Berliner Hand‐driving Gramophone
ベルリナー手回し式蓄音機、1895年
1880年代から不完全ながら蓄音機は存在していたが、この完成型の特許は1895年2月10日である。
(右)Berliner Trade‐Mark Model
同型の機械は、Eldridge Johnsonの改良型として1898年より多くの機種があり、本機はイギリス製、新型3号として1903年4月に発表されている。

それでは、鑑賞して参りましょう。これは本日使用するレコード(下の写真)です。

写真左:ベルリナーレコード
(中)5inch Berliner Plate England.1890〜’92
35. Who Killed Coek Robin だれがロビンを殺したか?
(左)7inch Berliner Disk Dec.13.1898 London 2187
Star of My Soul Sung by Bryce
(右)7inch Berliner Disk July.23.1900 Milano
Quest’e Quena-Rigoietto-Verdi Carlo Caffetta

写真右:各社レコード
(左)Improved Record 7inch 1900 Manufactured by Eldridge Johnson
La Paloma A‐171
Bariton Solo by Sig.E.Francisco
(右)Victor 7inch 1902
The Gate City March 1444
Sousa’s Band
(中)Gremophone & Typewriter 7inch 1903 日本録音
あほだら経 反物づくし
豊年斉梅坊主 東京12449

エミール・ベルリナーは、ドイツからアメリカに渡った移民です。彼は1887年に、横振動の平板レコードを発明しました。そのレコードは当初はプレートといいました。
この5インチプレート(ディスク)は、素材に硬質ゴム(エボナイトともいう)を使用していました。音質も悪くノイズの中からやっと歌声が聞き取れます。裏に貼ってある歌詞カードを見なければ、言葉がよく判りません。割れやすいのと、後に7インチができた時に回収したせいか、このレコードは数が少なく、今日では大変珍しい物です。蓄音機は手回しです。
その後、7インチディスクと蓄音機を開発、素材もシェラックになり丈夫で音が良くなりました。蓄音機も進歩してサウンドボックスの振動板がガラスから雲母に、動力はゼンマイになり回転も一定で、お聴きのように格段に進歩したのです。

ベルリナーは、録音や販売を細分化して会社を作り、自分のパテントに関するレコード製造は全部ハノーバープレスにしました。G&T等のヨーロッパ系の会社はベルリナー資本です。G&Tとは、グラモフォン&タイプライターの略です。1901年から6〜7年続き、その後この文字が消えます。当初はレコードだけでは不安があったのでしょうか、簡便なタイプライターも同時に販売しておりました。
1900年に、片腕だったエルドリッジ・ジョンソンが、袂を分かって独立し、後にビクターとなる会社を作ります。しかし、裁判沙汰になり、グラモフォンという名称は判決により使えなくなります。そこで彼はトーキングマシンという名称を使うようになりました。1902年にはニッパー犬のマークを商標登録します。今度はベルリナーが、ニッパー犬のマークを使えなくなり、以後エンジェルマークにします。それからは、アメリカでは蓄音機をトーキングマシンと呼ぶようになります。ビクターはこの様に紆余曲折の末誕生したのです。

今日紹介するレコードの中に、G&Tのフレッド・ガイスバーグという、録音プロデューサーがおります。カルーソやパッティの有名な録音をするのですが、1903年2月に、いわゆる出張録音の為来日します。 7インチと10インチ合わせて273面のレコードを録音をしました。
これをハーノーバーに送り、レコードが作られて、また、日本に送り返されました。しかし各一枚毎にオーダーは百枚とか二百枚だったらしく、現存する物が少ない希少盤です。
その中でも有名なレコードでは、落語家の快楽亭ブラックの録音があります。ブラックは東京育ちのイギリス人で、一世を風靡しました。この一連の出張録音では、通訳そしてプロデューサーの役割も果たしたそうです。

こうして聴き進みましたが、なんと回転数が1枚ごとに違います。当時は、まだ規格がなかったからです。
しかも手回しですと、回転が一定にならない。今、会員にハンドルを回して頂きましたが、手で廻すと一定になりません。すごく難しいのが分かります。
さすがにエジソンは進んでいて、既に最初から電動モーターでした。しかし、大変高価なため商品として普及しませんでした。そこで、安価で出来るゼンマイにしたんですね。ですから、ゼンマイの方が後なんです。ゼンマイ以前の動力は、ウエイトドライブといって、鳩時計の錘の原理を用いたものもありました。

今日は、私の勝手で一番やって見たかった事を、皆様のお蔭でできた思いでおります。
村上会長を始め、心優しい会員の方々ばかりで、玩具いじりの子供の如き私に、最後まで録音再生の源流へ遡る旅にお付き合い頂き、ありがたく感謝しております。 会員の皆様のご健康と趣味の益々のご発展をお祈りいたします。ありがとうございました。
MAC杉崎

♪懇親会♪ 
Mac杉崎氏を囲んで

講演会では、マック杉崎氏の深い知識に裏打ちされた素晴らしいお話を聞かせて頂きました。そして解りやすい解説と楽しいトークを交えてのお話と古の音楽に、興味深く耳を傾けていると、“ベルリナー”の時代、19世紀末の世界を訪れているようにさえ感じました。

講演会終了後、場所を近所のレストランに移し、杉崎氏を囲んで懇親会が行われました。
皆さん一様に新たな発見と、大珍品に触れることが出来た興奮で高揚しておりました。蓄音機やSPレコードの話に食事もそっちのけで、杉崎さんにご自分のコレクションの相談に乗って頂いたり、著作の本にサインをねだったりと、大いに楽しい一時を過ごすことができました。
杉崎さん、ありがとうございました。