平成24年10月14日(日)午後4時
会場:カフェサンスーシ
テーマ:“私の思い出の曲”
担当:金田邦明
使用蓄音機:パラゴンNo.145
蓄音機 パラゴンについて
純国産ポータブル蓄音機パラゴンは、自社ブランドの他にテイチク蓄音機のOEMを行っていて、最後はテイチクに併合されたようである。
またテイチク蓄音機には製造元パラゴン(株)の表示があるものもある。自社ブランド製品は少ないようで、今ではなかなか見ることができない。
現在ネット上に現れるのは、ポータブル型、卓上型合わせて4種類くらいしかない。
時に見るポータブル型は、No.35、No.145、他にテイチクブランドものなどである。
卓上型はNo.40、No.145…などと少ない。製造は1920〜30年代と思われる。
サウンドボックスはビクトローラキャムデン型で少し軽量に出来ていて、針圧は95グラム(因みにMHV5Aは130グラム)。
その支点はボールベアリング数個を両側から調整ネジで押さえガタをなくし、グリースでダンプされている。
卓上型の物は通常のもののように縦にグースネックに取り付けて蓋を閉めて演奏するが、
ポータブルのNo.35やNo.145でも蓋を閉めて演奏出来るように、高さを低くするために、ほぼ水平に取り付けてあり、
取り外しは出来ない構造になっている。支点部分は針を90度曲げて取り付けてある。
一見縦振動のボックスに見えるがそうではない。演奏中に蓋を閉めるよう促されているのは、
ボックスからの高音部が直接放射される音との干渉を防ぎ、音の濁り(歪感)をなくすためである。
ホーンは厚紙のようなものを巻いて、トグロ状にさせ、全体にピッチかタールのようなもので固めてある。
No.145のホーンの開口部は約20cm×10cm、長さはサウンドボックスから測ると約110cmある。
モーターは一丁ゼンマイで10インチ盤に対応している。12インチ盤をかけるには多少の追い巻きが要る。
再生音はホーンの大きさの割には大きく柔らか目に聴こえる。
鑑賞レコード
<クラシックの部>
1. J・ティボー:バッハのソナタ「ガボットとロンド」
メニューイン:クライスラー「美しきローズマリー」
2. ルネ・シュメー:ヴィニアフスキー「華麗なる大ポロネーズ」 、ヘンデル「組曲イ長調」
ルネ・シュメーはフランスの女流ヴァイオリン奏者で、1932年に来日して宮城道雄と共演し
「春の海」の尺八パートをヴァイオリンで演奏したものが有名。
3. アディラ・ファチーリ&ジェリー・ダラーニのVn二重奏:パーセル「黄金ソナタ」
4. W・ランドフスカ:モーツアルト「トルコ行進曲」
5. P・カザルス:タルティーニ「グラーベとエスプレシーボ」
バッハ:「甘き死よ来たれ」、ハイドン:「メヌエット」
日本ビクターの「秘曲集」の中からの1枚。HMV盤ではDB1400でハム音が盛大に入っているので電気再生では注意が必要、
この盤も同様。それゆえかCD復刻は聴いたことがない。
6. ソフィー・ブラスロウ(コントラルト):シューベルト「野薔薇」「鱒」
7. チャールス・クルマン(テノール):ワグナー「ローエングリン」第3幕第3場
クライディア・ムッツイオ(ソプラノ):ジョルーノ「アンドレアシェニエ」 第3場「母は死んだ」
<その他の部>
1. グレンミラー:真珠の首飾り・茶色の小瓶
2. ドリス・デイ:君を慕いて
3. ローズマリー・クルーニー:美しき茶色の瞳
1928〜2002年、アメリカ・ケンタッキー州の出身。ケネディ大統領の応援中に暗殺を目の当りにしてから
鬱病と薬物依存に陥り、2002年ビバリーヒルズで逝く。
4. レケル・メレ:ドンニャマリキータ
1926年のフランス映画、ジャック・フェデェール監督「カルメン」に主演している。
日本では淡谷のり子が唄った。カンナの花が匂う懐かしのマドリード。
5. ロシータ・キロガ:古いギター
キロガは1920〜30年代にタンゴやシャンソン歌手として活躍したアルゼンチンの歌姫。
タンゴ「カミニート」の作曲家ファンデティオス・フェリベルトの愛弟子
6. 池真理子:ボタンとリボン
大正6年京都生まれ。宝塚で活躍し、戦後渡米して帰国、スイングの女王と言われた。
平成12年5月、ホテルのショーで「センチメンタルジャニー」を唄った直後にくも膜下出血で倒れた。83歳であった。
7. 暁テル子:東京シューシャインボーイ
大正10年浅草生まれ。昭和8年に松竹少女歌劇団へ。
他に「ミネソタの卵売り」が有名。昭和37年心臓マヒで死去、41歳。
8. 平野愛子:港が見える丘
大正8年東京出身。昭和20年にビクターの公募で3,000人の中の7人に選ばれる。昭和22年、この曲がヒット。
作曲家が神戸の港を思い浮かべて作ったとされる。横浜の「港が見える丘公園」は後に名付けられた。
9. 織井茂子:黒ユリの花
1926年東京目黒出身。10代の頃は童謡歌手としてリーガル盤で活躍。1952年「君の名は」が大ヒットした。
1996年膵臓ガンで亡くなった。70歳。
10. 鶴田浩二:街のサンドイッチマン
1924〜1987年、浜松(兵庫県ともいわれる)出身。高田浩吉劇団へ入団後、失踪事件や暴力団からの襲撃事件などがあった。
22歳のとき薬の影響で左耳が難聴になり、田端義夫のアドバイスで手をかざしてうたうようになる。唄がうまく声とマッチしている。
11. 斎田愛子:長崎物語
元の名は橘良江。1910年カナダ生まれの2世。昭和2年デビュー。藤原歌劇団でオペラに出演。
「由利あけみ」の後に代わって唄った。唄はインドネシアに追放され、日本を想う「お春」の手紙1639年(寛永16年)を元にした。
お春の父はイタリア系、母は日本人で目はブルーなので、心は日本人であっても当時の混血追放策で余儀なくされた。
12. 平井英子:童謡「ねこふんじゃった」
金田さんの絶妙な司会進行で、ほぼ時間通りに例会が終了しました。
良く整備されたパラゴンの音は柔らかく澄んでいて、かけたSPの中ではカザルスの演奏が特に白眉でした。
金田さんの蓄音機に対する愛情が伝わって参ります。この後、懇親会に入り皆さんの活発なお話で盛り上がりました。
SPの手入れの方法や針の選び方など、皆さんの薀蓄の深さに感嘆するばかりです。